仙台鉄道 大衡駅 跡
大童駅 を発した線路 は、保存状態の良いまま、地元民 に 文字通り " 線路 " と呼ばれたまま、田園の中をより安全に通行できる通学路( 車両進入禁止路 )として毎日利用され親しまれている。 Google Map では 途中 途切れ途切れで表示されている " 線路 " だが、実際通行してみればきちんと 人 と 二輪車 は通行できる。
左に映っているのが道路が線路。
さて、そうこうしているうちに 大衡駅 へ到着。ここの駅跡もまた、農協の倉庫 らしき施設がある( 改築された米の冷蔵庫、JAあさひな河原倉庫 )。
線路の東側地域に倉庫は何棟かある。まあまあ広い敷地。
線路から東側の国道4号方面を望む、突き当りに横切っている。( 上記よりわずかに北に傾いて撮影。 )
駅前のタバコ屋 は、正面のクリームの外壁の家。何となく 路面側に、商店だった間取りの面影が継承されている気がする。廃業した今もなお代々 " タバコ屋さん " と地元民に呼ばれているそうだ。
タバコ屋さん、廃業しても尚店舗のような間取りみたいだ。
空中輸送されていた亜炭
大衡駅 前 と 奥州街道 ( 国道 4号線 )を結ぶ道。上記写真の空中を、亜炭が飛んでいた( 空中輸送 )というから、どれだけモーレツな活気を帯びていたんだろうかと往時を思えばワクワクする。*1 そして街並みの中には 大童駅 同様、簡易郵便局( 株式会社松川土木向かい、現在は国道4号線の桜井輪業向かい・村営住宅近くに移転 )も置かれていた。 それほど、ここも村北部の中心地だったろうが、今はその面影すら全くない。
大衡小学校・針分校 跡
次の駅へと迎う前に、ちょっと寄り道しよう。国道4号線沿いに、大衡村立 大衡小学校 針分校 跡 を見つけた。今となっては珍しく貴重な 二宮金次郎 像 も残されていた。*2
大衡駅 を過ぎると、線路 跡 は 田圃の中に消える。 左手の埋川方面に視線をやると、針薬師堂*3 が見えた。
仙台鉄道 本町駅 跡
大衡駅 を 過ぎ 加美郡色麻町 に入ると、駅は 出羽街道沿い の 色麻町 と 加美町 に点在する 集落の中心に置かれる傾向にある。
本町駅 跡は、大村浄化センター( 宮城県加美郡色麻町大永嶋102-3 )の北にある鉄塔の所にあった。 昭和後期の 空撮写真 には不自然な畦の形が残っており、建造物があったことを物語っていたようだが、今は農地改良が進んでおり、ただの田圃、見る影もない。 往時は本町地区の住民が中新田までの通学や買い物に出るのに使われ、賑わっていたらしい。
ここから用水路に沿うように、王城寺原駅 へと線路は進む。
本記事の移転更新 #廃線 #仙台鉄道 #軽便
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*1:昭和初期から、いわゆる 策動 という ロープウェイのような施設で亜炭を衡東地区( 大衡村大衡字赤坂とか、大衡村駒場字上五仏方面 )にあった工場まで運んでいたらしい。
*2:現在はこの地域の町内会が活用する 衡上集会所 として利用されている。校舎は二宮金次郎の背後の一帯に、駐車場は校庭だった模様。昭和49年廃校。
*3:針薬師堂 : 慈覚大師開山、849年。悪病が蔓延するこの里に 東北巡鍚中 の 慈覚大師( 円仁 )が立ち寄り、波利山妙法寺 を開山。自ら彫った 薬師瑠璃光如来 を安置し祈祷して救済したとの伝説が残っているらしい。 慈覚大師 と言えば、山形の 立石寺・平泉の 中尊寺・松島の 瑞巌寺 など有名な寺を数々開山した高僧。847年に唐の修行から帰国したようだが、その 2年後には辺境の地・東北を行脚しているとは本当ならばもの凄いことだ。